ちょっと事情があって、昨年の12月5日(土)から6日(日)で田舎に行ってきました。
何年に一度くらいしか田舎に帰らないので、何年かぶりだった。
田舎は今治市です。読み方は「いまばりし」で、愛媛県にある、地方の小都市です。
(地図1)羽田空港から今治駅まで
大きな地図で見るいやあ、いまさらながら今治は遠いね。
(写真1)羽田から松山空港へ向かう飛行機内の出発直前
羽田空港から松山空港に向かう飛行機の機内、出発直前の風景です。
何度乗っても離陸直前は何故か緊張します。
(写真2)羽田から松山空港へ向かう飛行機の機内から外が見えました
天気がよくて外は見えたんだけど、雲ばかりでした。
(写真3)JR四国の松山駅概観
この地域は当然JR四国です。
田舎のご多分にもれず、鉄道は発達しておらず寂しい感じがします。
松山と言えば道後温泉で有名ですが、何故か僕は行ったことがありません。今治と隣なのに。
(写真4)松山から今治までは45km
数少ない飛行機の本数と数少ないJR特急の本数なのに、空港から松山駅まで連絡バスで到着すると30分以上の待ち時間。
中途半端な待ち時間なので松山の駅前をぷらぷらしたが、たいしたものは何も無し。
(写真5)松山から今治に向かう特急しおかぜ16号の車窓から
こういうの好きです。列車の窓から広がる海の風景。
車からでもいいんだけど、電車だと安心してボーっと外を眺めることができるよね。
曇っていて少し色が悪くなったのは残念。
(写真6)お父さんのパソコン
NECのLavie L、PC-LL750LG3E。2008年1月モデル。
CPU:Core 2 Duo T7250 2GHz、メモリ:2GB、HDD:120GB。
このスペックのパソコンをお父さんが、年賀状を書くのとデジカメ写真を保存する程度にしか使っていないなんて。
ああ、もったいない。
ちょっと暗くなる話なんですが、まあこれも僕自身の日記なので書いておきます。
11月の下旬に田舎のお母さんから電話があった。お父さんが病気で倒れて入院していると。
すぐに命に別状がある話ではないが、ちょっと普通ではないみたい。
どうやら胃がんの疑いがあって精密な検査中との事。
それから数日して検査結果の話があり、どうやら胃がんで間違いなく、余命も長くないとの事。
とは言え今の時点では立ち上がって歩いたり、普通に行動できるらしいが。
本人(お父さん)にはまだ胃がんであることは明確には伝えておらず、どのタイミングでどのように告知するかを家族が考えなければならないらしい。
と言うわけで急遽、12月5日に今治の田舎に飛んでいくことになった。
羽田空港→飛行機で松山空港→連絡バスでJR松山駅→特急で今治駅。
朝6時過ぎに家を出て、今治駅に着いたのが昼ちょうど12時だから、片道なんと6時間。
ああ、長かった。
俺には弟が2人いるんだけど、今回は下の弟(仮に弟2としておこう)が広島から車で来ていた。
尾道から今治までしまなみ街道が開通したから、車で2時間か3時間くらいで来れるらしい。
それで今治駅では弟2とその嫁さんや子供、お母さんが待っていた。
弟の車にみんなで乗り、近所のファミリーレストランで昼ごはんを食べてから病院へ。
お父さんに会う前に別室で、お母さんと俺と弟2の3人で医者を待つ。
医者から病状を説明してもらったが、先は明るくない。
胃がんが発達して肝臓にも転移しており、もう既に手術できる状況ではないとの事。
このままはではもう余命半年くらいの状況らしい。
これからは抗がん剤を飲んで治療を続けることに、なかなか現実は厳しいね。
抗がん剤はその名のとおり治療薬ではなく、多くの場合はがんの進行を遅らせる薬で、余命が何割か伸びる程度で、運がよくて余命が5割から2倍程度になるらしい。
もちろん何事にも例外はあり、その後何年も生きることができたり、転移したがん細胞が小さくなって運よく手術可能になったりすることもあるが、それらは全体から見ると少数の例らしい。
お母さんと俺と弟2の3人で少し話し、今日この場でお父さんに病状を告知し、自分のおかれた状況を理解してもらい、治療に専念してもらうことにした。
お母さんは最後までがん告知に難色を示していたが、お父さんに残された時間を有効に使ってもらうためには正直に言うしかない。
それでお父さんを呼んで医者から検査結果とこれからの治療方針を説明してもらう。
倒れて入院したが、手術は行わないこともあり、お父さんも薄々気付いていたみたい。
しかし「がんで手術不能」と宣告されると、さすがにショックは隠しきれない。
そのためにお母さんだけではなく、僕と弟が付き添ったわけだが。
がんは進行しているが、今のところ容態は安定していて、自分で普通に立って歩ける。
検査が終わったため、食事も普通に食べていいらしい。
それどころか「せっかく息子さんが来ているんだから」と言うことで今日から一時退院してもいいことになった。
それまでお父さんは入院して点滴やら精進料理みたいなのやらばかりだったから、その晩は久々に普通のご飯を食べることができた
弟2と嫁さんや子供は夕方には広島に帰った。
僕は一泊して、翌12/6(日)に戻ることにした。
つづく。